陶芸家
小島 こじま 英一えいいち
茨城県 笠間市
小島 英一

’46年 千葉県千倉町生まれ。二松学舎大学大学院修了後、笠間市の製陶ふくだ、桧佐陶工房に勤務。翌年、現在地に築窯し『陶潤舎』設立。女子聖学院短期大学、鯉淵学園の講師なども務める。

著書に『陶芸の彩色技法』(共著)、伝統工芸品シリーズ『益子焼』(ともに理工学社)がある。

瀬戸屋になる - 私的笠間焼陶業史 - #2

#1 #2 #3 #4 #5 ex1

ひとは一つの世界で生きていくには価値観、美意識、身のこなし方などが統一されないと出発できない。百姓なら百姓、漁師なら漁師の世界に通用する身体になることが第一歩になるはず。サラリーマンなら同調する能力が大事。そのための気くばり、共通する価値観、全体を動かす歯車のひとつに徹する強い意志がなければサラリーマンには向かない。どころかサラリーマンにはなれないはず。

瀬戸屋にも、なるための身のこなし方ができないと、なれない。だからといって世界大会でメダリストになるアスリート程の能力を必要としないのは当然で、ひとつの作業に、異和感を感じ、楽しくなければ向かないということになるのでしょう。一つひとつの作業に疑問を感じたときに、その疑問を解決しないと先に進めない人と、「しょうがねえな、とりあえずやってみるか」と思う人のタイプがあるように思います。いずれにしても、とりあえずやってみる人を世間は求めているのではないかと思ってしまうのです。ハローワークの「あなたに合った仕事があります」は嘘です。仕事に合わせられるあなただけを企業が求めているとしか思えないのが現状です。「自分さがしの旅」が一時期はやりましたが、旅で自分が見つかるのだったらこんな幸せな事はありません。仮初かりそめの仕事かもしれないものに全力でぶつかり仕事の中に自分を見い出したように四十数年の瀬戸屋家業を振り返って思います。 製陶ふくだ 笠間市の製陶ふくだでは、今でも陶芸家が修行をしている。

瀬戸屋の一番良いところは、単純で教えられなくても初心者にもできる仕事があることです。なおかつ、その作業は焼き上がり、窯から出てきた時に成品にはっきりと示されます。単純な作業のはたき掛け、素焼品のちりやほこりを除くためにはたきを掛けます。おろそかにすると釉薬がはげたり、ピンホールが出たり、鉄粉が吹いたりといったことになりますが、100%そうなる訳ではありません。最善を尽くしても駄目な時もありますし、いい加減にやってもうまくいく時もあり、焼き物作りは人生そのものだなあと思ったことはしばしばでした。

土作りや、仕上げの終わった製品の天日乾燥、作業場の掃除は勿論のこと、そうした作業のすべて、下働きを地走じばしりといいます。次からつぎへと仕事を伝いつけられます。時には二つ三つの仕事を同時にいいつけられます。どっちを先になんて迷っている閑間はありません。慣れてくると最後にいわれたことをとりあえず仕上げるといった知恵がつきました。

そうした一日が終わると、待ちに待っていた練習がはじまります。夕食前の自由時間や、夕食後の時間に、土練りを覚えます。押しもみあるいは荒もみです。はじめは手で揉もうとするから、疲れるだけで土がいうことを聞いてくれません。荒もみは外側の土を中に、中の土を外にと、全体が均一になるようにするのです。揉むことは簡単にできるようになりますが、まとめることが難しいのです。土の塊を回転させながら俵形にまとめます。回転させながら徐々に力をゆるめていきますが、早過ぎると空気の塊が土の中に入ってしまい、ができるといいます。回転のリズムが一定でないと、きれいな俵形になりません。先輩たちがいとも簡単にやっていることがどうにかこうにかできるようになったのは一週間後くらいでした。

荒もみができたら、次は菊練りです。粘土の塊を広げ空気のかたまり、鬆を除く作業です。粘土を広げていく途中に菊の花の模様ができることから菊もみといいます。荒もみほど簡単ではありません。慣れた人は30キログラムの粘土を50〜60センチメートルくらいの円型に広げ、まとめますが、初心者では5キロくらいがやっとで、小さ過ぎても、大きすぎても土がいうことを聞いてくれません。

菊もみで難しいのは広げた粘土をまとめることです。右利きの場合は左手は回転させるだけに用い、右手は肩から垂直に粘土に力を加え広げます。垂直でないと、粘土が前方に移動、逃げていくので疲れるばかりでまとめるのに苦労します。上半身の体重を垂直におろすだけなので疲れることもありません。

左手は回転させるだけですが、慣れないと両手に力が入ってしまい思うようになりません。まとめる時は今まで加えていた力を徐々にゆるめ、一定のリズムで回転させます。あせらずゆっくりとです。最終的には玉子型、砲弾型にまとめます。上手な人の形は美しく、下手な人は不恰好です。形がよくないとロクロに据た時にまた一苦労です。回転すると粘土が暴れ、芯を出すのに時間がかかります。

できるようになると自転車に乗れた瞬間や泳げるようになった時と同じに、どうしてこんな簡単なことがなかなかできなかったのかと思ったほどでした。それでも一ヶ月近くかかったように思います。

先輩たちの作業を横目で見ながら、早くできるようになりたい、はやくロクロに乗りたいと思い続けていました。後でわかったことで、教えてくれた人は右利きで、教わる側が左利きだったので、ひとの三倍くらいかかったように思います。

早くロクロに乗りたいと毎日思っていました。いよいよロクロです。焼き物作りの象徴のようなロクロです。焼き物をやっているというとロクロをやるんですか、とロクロを挽く手付きをする人がほとんどの、あこがれのロクロです。

ロクロに乗るといいます。ロクロの位置が土間よりも高くなっているからかもしれません。作ることを挽くといいます。ロクロで挽いた器の内部、見込みをきれいにする道具をこてといいます。ほおや桜といった水に強い木を使いますが、朴は木目を含めてやわらかく細工しやすいので多く使われます。笠間ではかつて瓶や擂鉢などの大物を作っていたので、肉厚、1.5から2センチメートルくらいの手の平に入るほどのものを使います。団子鏝といいます。他に柄のついた、深いものや手の入りにくいところに用いるのは柄鏝です。 陶芸の道具 小島さんが実際に使っている道具:左から箆、鏝、柄鏝。このほかにも、工房には自作のものや市販品に手を加えたものなど、様々な道具が並んでいる。

小さいものや見込みをきれいにする時に用いるのはへらといい、板の厚みは5から7ミリ程度の薄いものです。鏝は見込みをきれいにするち同時に、器体をより薄く延ばし、土を締めますが、箆はきれいにするために用いられます。鏝で延ばしながら成型するのは日本とドイツだけだそうです。他の国は手ですべてを成型するそうです。

ロクロが出来ない時、この鏝作りに夢中になっていました。休日に建具屋に行き端材を分けてもらい、先輩の道具を参考に、湯呑用、小鉢用、皿用といつか使うことを夢みて作ったものですが、そのまますぐに使えたのはほとんどありませんでした。

いよいよロクロの練習がはじまります。はじめはロクロの中心に菊もみした粘土を据えることです。中心に向かって粘土をたたきつけるようにして盤に密着させないと、回転によってはじき飛ばされてしまいます。中心からずれると芯を出すのに苦労します。芯が出ないと均一な肉厚にならなかったり、口縁部が平らにならなかったりします。

最初は粘土を両手ではさみ円錐状にしたら、ただちに押し下げ、再び円錐状にする作業を三度ほど繰り返します。土殺しといいます。これで器が作りやすくなります。この時、右手は中心に向かって押し、左手は支える感じで力の配分は右手8に対し左手は2くらいです。五分五分の力では粘土が暴れてしまいます。

芯出しができたら、いよいよ成型です。基本は切立ち、直の湯呑、口径7センチ高さ7センチの胴返しです。上手く挽けたと思っても、乾燥で口が小さくなったり、逆に腰のあたりが縮んだりして、なかなか垂直な直線になってくれません。

ロクロ挽きは、はじめが「土取り」で作る大きさが決まります。土取りは玉状、あるいは円錐の頂点の大きさと親指の深さによって決めます。常に一定の土取りができないと挽き終わった湯呑の大きさがバラバラになります。土取りの次が荒のばし、左手の親指を粘土の中に他の指は外に、右手は軽くそえて土が暴れないようにします。次に右手の人差し指と中指を中に入れて底の部分を中心から外側へ指を移動させ胴の部分は左手の親指、人差し指を使い、内と外から押さえて土を延ばします。この時、上に持ち上げる気持ちではなく、外と外から押さえるようにはさみ込むと土はひとりでにあがってきます。形ができたら、右手の親指、人差指、中指を使って口縁部を締めます。その時左手は外側からそっと支えます。

八割方できたら鏝を中に入れ、底を締め、次に立ちあがりを左の人差指、中指とで下から上へと移動させながら厚さと口径を寸法通りになるように決めます。この時、ロクロの回転よりもやや早く指を移動させるとロクロ目という筋がつきます。

成型が終わったら、切り離しです。道具は切り糸、しっぴきといいます。昔はワラの穂先をよって作ったそうですが現在ではナイロン製の水糸がよく使われます。親指の爪で器の底より一センチくらい下に印をつけ、右利きの人は右手に切り糸を持ち、左の指先で手前に印をつけた所に糸をあてたら左指の糸を離し、一回転した瞬間に右手首を返すように水平に引きます。左利きの場合は湯呑の向う側に切り糸を当て、右手と同様にして切り離します。

陶芸の道具:切り糸・しっぴき

切り糸・しっぴき。湯呑等、高台幅が狭いもの用のため、糸も短くなっている。

慣れないうちはロクロを止めて両手の人差指、中指をハサミの形に広げ、四本の指ではさみ手板の上に乗せます。手板は以前、松材が使われていましたが、現在では合板がほとんどです。幅25センチ長さ90センチが笠間では一般的です。湯呑で一板の手板に二列にして18〜20個並びます。慣れてくるとロクロを止めずに、連続して作業をし、一日400個挽けると一人前といわれます。職人さんの中には朝早くから夜まで700個挽く人もいました。

仕事が終わった後の一、二時間に一玉5キロの粘土を使い切るまで練習をします。同じ大きさ、同じ形になるように毎日が練習です。早い人は一ヶ月、遅い人でも三ヶ月くらいで、どうにか見られるようになります。できるよになるまで背中は痛くなるし、肩こりになったりしました。身体に余分な力が入ってしまうせいでしょう。できるようになると同時にロクロ向きの身体ができて、ロクロ向きの身のこなし方ができるのかもしれません。日本の芸事が形から入ることと同じで形の完成が真髄に近づく道かなと思います。

一、二日乾燥させると、いよいよ仕上げの削りです。道具は幅3センチ長さ15〜16センチ厚み1ミリくらいの板金いたがねで自作します。現在、色々な形、材質の完成品が販売されていますが昭和四十年代の笠間では自作するしかありません。屑鉄屋にいき、輸入した石材の梱包に使われていた板金を見つけるのですが、軟らかすぎたり、硬すぎたりと使えるものにはなかなか出会えませんでした。

板金の先を3センチくらいのところを万力や金床、ペンチでやや直角に曲げ、ヤスリで刃をつけます。いざ削ってみるとけずれないで、刃でけずるより無理矢理力ずくでで削るといったことが続き使える仕上げカンナが作れるようになるにも時間がかかりました。 陶芸の道具 仕上げのための道具、カンナ。修行時代は屑鉄の中から板金から探し、自作していたという。右は、使い込んで短くなり、自作の柄が取り付けられたもの。

一日に仕上げる数は作りの二倍が標準です。ロクロを挽くことを水びきといい、仕上げをするには全体が均一なかたさに乾いていないと作業しいくいので、手板に並んだ隅のものを中に、口縁部を下に天地を逆にするといった養生をします。場合によっては乾き過ぎないようにビニール布で覆うことも必要になります。

仕上げはロクロの中心に削り台(シッタ)を据えます。削り台は生、乾燥、素焼などがありますが、一番いいのは生で、削るものよりやや乾燥しているものを使います。製品を作り終わった最後に削り台を作ることが一般的です。その都度作るのが面倒なので、乾燥したものや素焼をして丈夫な壊れにくくした削り台も使います。素焼の削り台は使う前に水につけて使用します。それでないと密着せず作業に手間どります。

削りは、まず決めた高さまで削り、次に高台を削り出します。高台は外側から削り先に高台の大きさ、高さを決める場合と、高台の中を先に削り、底の厚みを決めてから、外側を削る二つの方法があります。

底の厚いと重く、時には乾燥時に底割れをします。また、職人さんに注意されたことは「胴を削るな」高台脇をひとカンナあてるだけだと、「ロクロ師は旋盤工じゃねえんだ。削りで形を出すな」と、削りの少ない程、腕のいいロクロ師なんだと教えられました。

当時のロクロ師には常雇と窯元の注文によって作り、終わると別の窯元へと移っていく渡り職人がいました。賃挽ちんびきといって一個いくらで仕事をしていました。下代卸値おろしねの一割が工賃でした。勿論、腕の良し悪しなどによって工賃は上下していたようです。

陶芸の道具:切り糸・しっぴき

すべての基本という湯呑。ひよこ湯呑が生まれるのはまだ先のお話。

最初に湯呑を挽くのは盃のような小さいものよりも挽きやすく、口作り、胴の作り、腰といった高台脇の作りなど、基本がすべて備わっているからです。湯呑がきちんと挽けるようになれば、他のものも挽けるようになります。胴をふくらませると丸くなり、しぼればへこみます。口作りを広げたり、すぼめたりで、様々な形になります。口を広げていくと鉢になり、さらに広げると皿になります。土取りを大きくすると大きなものが作れます。ロクロで一番難しいことは同じ大きさ、形を揃えることです。同じものの練習をしていると飽きてくるし、一人前になったつもりで他の物を作りたくなります。ここで辛抱しないといつまでたっても揃える技術が身につかないと必死でした。

現在ロクロといえば電動が一般的ですが、かつては蹴りロクロと手ロクロでした。蹴りロクロは朝鮮半島を、手ロクロは中国をそれぞれ経由して日本人に伝えられました。成形技術はロクロによって異なります。電動で可能な力業も蹴りや手回しですと停まってしまいます。微妙な力加減が必要になり、それに伴った技術も生み出されます。

最近になってロクロについてわかってきたことは、作るものの大きさ、形によって土の固さ、ロクロの回転速度、さらにロクロで作る部分と削りで仕上げる部分のバランスが一体化しないといけないことです。これらのどれ一つくずれても求める形になりません。

京都のロクロ師の間で否定的にささやかれた「富本憲吉さんは壺の中をけずるらしい」とのことですが、富本さんはロクロを挽き上げる過程で一番いい形を見出だし、それを残すために重いので中を削るのだと思いますが、一番いい形に気付かず、もっと軽く、もっと薄くと、それがロクロの技術だと思い込んで同じ作業を続けてしまいます。ロクロはいじればいじるほど、力の弱い形になってしまいます。最小手数で最大の効果を出すことがロクロに限らず手仕事の神髄だと気付くには時間を必要としました。

2018.6.20公開 / 2018.6.21更新 | 小島 英一

脚 注

富本 憲吉
1886年 - 1963年。奈良県生駒郡出身の陶芸家。参考:東京文化財研究所 - http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/

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