- 陶人形
- 井上 卓
- 茨城県 笠間市
‘71年 東京都生まれ。’95〜’04年の9年間、笠間市内にて修行を積む。‘05年同市上市原にて独立し、人形・置物を専門に作陶。その後、’11年に笠間市大渕に転居。
‘12年には、三谷幸喜監督作品「清須会議」用の小道具「獅子香炉」を製作している。
‘71年 東京都生まれ。’95〜’04年の9年間、笠間市内にて修行を積む。‘05年同市上市原にて独立し、人形・置物を専門に作陶。その後、’11年に笠間市大渕に転居。
‘12年には、三谷幸喜監督作品「清須会議」用の小道具「獅子香炉」を製作している。
前後を森に囲まれた工房は、風の通り道になっていて、心地さを運んでくれる。
陶芸という言葉は明治三十年代初めに、加藤唐九郎や河村熹太郎といった人たちによって作られたものです。それ以前は窯業家、陶器家と一部で呼ばれていました。分業の世界が当前の窯業にあって製作から焼成まで一貫製作する人たちが誕生し、窯業家、陶器家という言葉が生まれ、陶芸家に落ち着きました。
陶芸家、陶芸作家は作品を作る人たちです。個展をする人たちです。しかし作品とは何かの問いがあいまいにされたまま、ひとり歩きをしている現状があるような気がします。作られたものすべて作品と呼ぶことは不自然です。なぜなら販売目的で作られた商品と作り手の美意識、哲学などのもとに作られたものを同一視することには無理があるからです。作品とは世界を切り拓くものだからです。
公募展で入選や受賞を目標としない人たちの存在が近年増えて来ている状況があります。「作家」と呼ぼうが、どうかは自分にとってどうでもいいこと、お好きにどうぞ、といったスタンスの人たちが増えてきています。
陶芸界という階級社会、由鎖社会に興味を示さない人たちです。そのひとりが井上卓さんです。
井上さんは東京に生まれ、大分を経由して笠間で暮らすようになって二十年が過ぎました。一所に根を張って生きることに実感が持てない、どこか放浪者の思いが消えない、笠間でのいまの暮らしもどこか仮住まいのような気がすると語ることは、井上卓を理解するキイワードのひとつになるように思います。
はじめて工房を訪れた時、自作の香立てに香を立てて迎えていただきました。香のかおる中、問わず語りに話すことは何もない、感じる人が好きに感じればいい、否定も肯定もしない、自分は自分ですと他人の評価は眼中にない、だからといって不遜、不柄といった印象はなくさわやかな気分になりました。
執筆前の対談では、お香が尽きてもまだ、話は止まらなかった。
たとえば、李朝や中国陶磁、志野や織部あるいは誰それのようなものが作りたくてといった動機から「焼き物」作りを目差す人がほとんどですが、井上さんは気づいたらこの業界にいたと云います。ですから産業廃棄物を再利用するセラミックメーカーや築炉メーカーに勤めることが長く、焼き物作りを志す人から見たら、無意味とも思える遠回りをしただろうが、井上さんにとってあれがあったから今がある。とても自然な流れだったと心底思っています。
独立した当座は食器を作っていたけれど誰にも作れるものしか作れず、これが自分の作る食器だと実感できるものが作れず、楽しくなかったと、そんな時「自分の好きなことをやったら」と云われはじめた仕事が、いまに続いています。井上さんは、それが「人形」(ひとがた)だと云います。彫塑でもなく、オブジェでもなく、ましてフィギュアでもない、ひとがたなのです。
今年の「笠間の
井上さんは「念には念を入れてー」と述懐しておられます。井上さんにとって念とは二十年経てたどりついた地平への喜びと感謝の祈りかもしれません。ひとは存在することが許されているにもかかわらず、常に不安がつきまとっています。自信がもてないのが人間です。
ひとがたを通して社会とつながってゆこうとする思いが「念」なのかもしれません。いま自分にできるたった一つの方法だと考えているのかもしれないと思うのです。
製作について
工房は二階建ての納屋を自ら改造し、一階は窯場に、二階の手前が応接間兼展示場兼書斎を兼ねた空間になっています。香をたいて迎えてくださった部屋です。作業に疲れたら休む場にも感じられる小さな卓と椅子が二客傍に置かれています。壁には小さな書棚も設えられています。納められている書籍の三分の一程が筆者の蔵書と重なっているのを嬉しいような恥ずかしいような複雑な心境で眺めていました。ドウス 昌代の『イサム・ノグチ』はとりわけ印象に残っています。落ち着いて不思議な空間です。
二階は道路から直接接続されています。したがって一階の窯場とは独立しています。不思議な空間の奥が作業場になっています。手前にパートナーのロクロや作業台、棚を設け、奥が井上さんの作業空間です。作業台の他なにもありません。余分なもののすべてが取り除かれた簡素な空間です。ここでは時間が世間よりもゆったり流れていくだろうなと思わせる空間です。
一階の窯場は0.4立方米のガス炉を中心に、窯詰を待っている作品棚や窯道具が整然と設えられています。印象的だったことは窯のメンテナンスがしっかりされていることです。ここに築炉メーカーでの経験がいかされています。窯壁のレンガのずれやヒビ割れひとつありません。まるで新品のようです。「メンテナンスを頼もうかな」の言葉に「元の勤め先に悪いから」とやんわり断られました。
道具は使い込まれ、それ以上に大切にメンテナンスをされている。
造形の土は鉄分を含んだ赤土を基本としています。粘土は焼くと一割以上収縮します。収縮は全体に平均しておこるのではなく、外側から加えられる圧力いん比例します。たとえば龍のヒゲは細く長くするため、かなりの圧力がくわえられるので作った時の形そのまま収縮するとは限りません。わずかですが曲線が延びたり、面がふくらんだりして微妙に変化することがあります。それを防ぐために耐火モルタルやシャモットを粘土に加えます。入れ過ぎると作りにくく、足りないと変型を助長します。造形物の大きさや形によってシャモットの量を調整します。ちなみに耐火モルタルは木節粘土と耐火材の粉末を混合したもので、シャモットは耐火材の粉末です。
まず粘土を5~7ミリ程度の厚さの板状にし、塩化ビニールのパイプ、水道や廃水管に使われるものに巻きつけ筒状にします。ついで胴体のかたちに内側からふくらませ、顔も同様にして胴体と張り合わせ、全体のイメージに合わせて基礎構造を作り、貼り付けたり削ったりといった彫塑的作業を続けます。粘土の乾燥具合にあわせて作業を進めます。柔らか過ぎると形がくずれるし、かた過ぎる乾燥時や焼成の時にはがれたりするので、タオルで覆い霧吹きで水分を補給するなど細心の注意をはらい作業を進めます。念には念を入れ息を吹き込むと生命がやどります。
完成した形は自然乾燥の後素焼きをします。
本焼きはサヤに入れ、その周囲に木炭や木片などの可燃物を入れます。井上さんのガス炉は炭化焼成ができるのですが、それでは均一に炭化し井上さんにとって面白味に欠けるので、あえてサヤ炭化で炭化した部分の濃淡、窯変などの焼き上がりの土味を大切にしています。釉薬を使わないのは形を見せたいからです。釉薬を掛けると細かい部分が釉薬の中に沈み、伝えたいことが半減してしまいます。それゆえ無釉なのです。
井上さんが土味を大切にする理由は焼き物だからです。オブジェやフィギュアだったら、樹脂や他の素材で充分ですが、井上さんにとって焼き物でなければならないのです。色々試して選んだのではなく、たまたま焼き物にふれた出発点だったからです。
綺麗な仕事場は、整頓しながら作品のイメージを紡いでいるのだろう印象を受ける。
井上さんは論理的な人ですが自分の仕事について説明することは一切しません。気がついたらそうなっていた、成り行きだったと云われますがそのまま信じていいか疑問ですが、嘘をついたり飾ったりする人でもありません。
産業廃棄物を利用した工芸とは無縁の窯業に従事することで、工芸の魅力に気づき、築炉メーカーで身につけた技術が窯のメンテナンスに役立っていて何一つ無駄になっていないと考えている井上さんは、意味を感じないこと、無駄と思われることには妥協しません。
徒党を組むこと、公募展に応募することにも興味がありません。「メリットがあればねぇ」と笑いながら否定します。眼鏡の奥の眼は笑ってはいません。理屈もこねません。まさに不羈の人です。
2018.6.1公開 / 2018.6.21更新 | 小島 英一
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