陶彫家
猪本 いのもと たく
茨城県 笠間市
猪本 拓

'53年 山形生まれ。大阪芸術大学彫刻科卒業後、第62回二科展に出品。’90年頃の笠間移住の頃からは土にも目を向け、'03年には新潟市美術館開館10周年記念・新潟市野外彫刻大賞などを受賞。‘04年には、立川町町制施工50周年記念モニュメントを制作。

笠間の窯人 #2

余韻よいんの人 猪本いのもと たく

写真 | 猪本拓

小さなコアラが見守る中、話は始まりました。

笠間市の郊外、福原柊山山腹の工房に猪本さんを訪ねる。約一年半かけて一人で建てたという工房と、その後、住いも自作して本格的に居を構えたのは三十年前。工房を先に建てるとはいかにも猪本さんらしい気がします。当時使っていたトラックの荷台に合わせパネルを作り、新しい工房建設現場に運び、壁と屋根を組むという方法で完成させました。窓枠など無料で譲ってもらうなど廃材も利用したので時間が掛かってしまったとおっしゃいます。 陶彫家 猪本拓

工房に案内され、コーヒーをいただきながら、笠間にきたいきさつを伺います。大学を卒業後、美術校で彫刻を学んでいる時、たまたま笠間・真壁・大和に御影石の採掘現場を訪れる機会があり、そこで同郷の彫刻家に出会います。一ヶ月後から、彫刻家から石を切り出す仕事の依頼があり、助手を務めることになります。その間に笠間がすっかり気に入ってしまいます。ここで暮らせたらいいなあと思っていると、空屋を紹介されます。当時住んでいた埼玉の家賃と比べると破格の安さだったので、考えることなく移住を実行します。その後、いくつか紆余曲折を経て現在の地に落ちつきます。

工房は一見乱雑に見えますが整理されています。ネジなどは梁に整然と取り付けられたコーヒーの空き瓶に行儀よく納められ、使い勝手のよさがわかります。作業台の脇に猫の餌入れと水飲みが置かれています。工房の隅からです。猫の鼾が聞こえてきました。腰に障害があり、走ったり、飛び跳ねたりできないそうです。猪本さんは「そこがまた可愛いんだよね」といいます。猫は仕事場で悪さをしません。棚や作業台、床に置かれた製作途中のものなどを避けて行動します。そればかりか、ねずみが皿の縁をかじるのを防いでくれます。 陶彫家 猪本拓

猫の鼾にさそわれるように、焼き物をするようになった経緯いきさつを伺いました。石の仕事は、助手を務めたり、アルバイトをしながら公募展に出品することが中心です。モニュメントなどの応募は50センチ立方くらいのマケット、雛形です。はじめ石で作っていたものの労力や経済的にも負担が大きいので、「女房が使っていた粘土」を使ってみたところ石とは異った魅力に気付きます。それまでにもアルバイトの石屋から帰ってから、女房の失敗作を利用してイタズラに作ってみたりしていたので粘土には馴じんでいました。

写真 | 猪本拓

工房の柱には、猫のくろべえの陶板飾られていた。

粘土にふれて気付いたことがあります。石彫は光と影の世界、表と裏あるいは凸面と凹面の組み合わせ、光と影によって形を見せるけれど、粘土には色がある。色によって猪本さんの世界は広がっていきました。造形に色をとり込むことでより多くの自由を手に入れた喜びは大きなものがありました。粘土のやわらかさにも親しみを感じました。こうして石彫の世界からだんだんと陶彫の世界へと移っていきました。

本格的に焼き物に手を染めるようになったのは、長女の誕生でした。かつてイタズラしていた割れた素焼の鉢を張り合わせ立方体をヒントに一輪挿しを作り、お祝いのお返しにしました。これには販売店から注文がきて、作り続けることになります。ロングセラーのはじまりです。

粘土で作りはじめると石とは違った魅力に次つぎに発見していきます。やわらかさや色の複雑さなど、石を知る者だからこそわかるのかもしれません。この時、猪本さんはロクロでの製作をしないと決意します。直感的にロクロの魔力のようなものを感じとったといいます。ロクロをやったらまちがいなく取り憑かれると、もしかしたら造形家にとっての矜持きょうじがあったのかもしれません。それが焼き物で独自の世界を築くことになります。 陶彫家 猪本拓

製作について

写真 | 猪本拓

庭に建つモニュメント。高さ2Mほどのタタラ作りの作品です。

猪本さんの製作方法に型作り、タタラ製型にかえて手びねりがあります。手びねりは粘土の塊を積み上げた後に分解し、さらに再構成することで全体と部分の調和をはかります。場合によっては部分の粘土の色を変えます。また表面にしし目などの加飾をすることもあります。石彫ではできない行程により、より焼き物になっていきます。造形では形が大切ですが、焼き物では同時に土の質感、土味が大切になります。抒情性といってもよいかもしれません。石彫によって培われた猪本さんの感性が土の造形に生きているといってよいでしょう。

タタラ作りは粘土を板状にし、型紙を当てカットした部品を作ります。一種類の場合もあれば数種類におよぶ時もあります。構想された全体へむかってパーツを組み合わせ、積み重ねていきます。その数は小さい物で二三百、大きなものになると何千個にもなります。形によってパーツを組み合わせてブロックを作り、そのブロックを積むこともあります。

形や大きさにより、組み立てて焼成する時や焼成したパーツを接着剤を使って組み立てることもあります。粘土の色の濃淡に焦点をおく場合は焼成後に色調を合わせながら組み立てていきます。工房には、張りつめてはいるが、気持ちのよい時間がゆっくりと流れていきます。

一立方米と0.5立方米の灯油窯を使用しています。バーナーの具合や還元焼成の濃度に違いがでて、同じ粘土のパーツでも窯内の焼成場所により色調に変化がでます。

いま一つ猪本さんが力を入れている仕事に色化粧があります。タタラを組み合わせ立体を作り、青を主体とした色化粧で装飾をほどこします。石彫の光と影の再現を思わせる方法で、より一層、形に変化をもたらします。

猪本さんにとって本格的な〈焼き物〉デビューとなった一輪挿しの製作方法、石膏型を用いて部品を作り、立体へと組んでいきます。象嵌ぞうがんやくし目などの装飾をほどこしますが、それらはあくまでも控え目です。装飾のための形があるのではなく、形を生かすための装飾です。土味を最優先する仕事は造形家にはみられない感性です。まちがいなく窯人の仕事です。 陶彫家 猪本拓

猪本さんの仕事を一つひとつ見てくると、石彫の経験を存分に生かし、粘土と出合ってはじめて完成したように思います。しかし、粘土の色に執着をみせながらも、野山に分けいって新しい土との出会いを求めるでなく、市販されている誰もが手にすることのできる粘土で製作を続ける猪本さんの〈焼き物〉にのめり込むでなく、どこか理知的な姿勢は作られた物から風が吹いているように感じます。目を閉じても感じられる余韻がただよっています。その意味でも猪本さんは余韻の人なのです。

2018.7.1公開 / 2018.9.15更新 | 小島 英一

柊・土工房
猪本 拓
住所:〒309-1634
茨城県笠間市福原2266
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