陶芸家
小林 こばやし 伸光のぶみつ
茨城県 石岡市
根岸 よねお

‘58年鎌倉市出身。愛知県窯業訓練校を卒業した’86年に、笠間市・奥田製陶所に入所後、’89年に茨城県石岡市にて独立。
作陶展 高島屋(新宿、横浜、柏、日本橋)のほか、GP展 南仏サンカンタン・ラ・ポッタリーなど精力的に活動している。

笠間の窯人 #7

遊鬼の人 小林こばやし 伸光のぶみつ

写真 | 小林伸光

食べごろっぽいのがちらほらとあります。

小林さんの住居と工房は石岡市、旧八郷地区の真家集落に、周囲を杉林でかこまれたみかん畑のまんなかに建っています。家のわきには馬滝へ向かう道があったのですが、通る人もなく、ひと一人がやっと通れるという状態で廃道に近い。すぐ近くにあった神社に訪れる人もなく、御神体は別の場所に移され、鳥居だけが小林さんの家の側にぽつねんと建っています。その先には家はありません。

工房の周囲に薪窯用に集められた耐火煉瓦が六千丁近く、城壁のように積まれて壮観です。積み重なった煉瓦には独特の説得力のようなものがあります。それまでの二十年間は同じ八郷地区の小見集落の住宅地に住んでいましたが、手狭になったことと薪窯への思いが重なり現在の地に移ってきて十年になります。 陶芸家 小林伸光

写真 | 小林伸光

登窯になるのを待つ耐火煉瓦。

あいさつもそこそこに、案内された工房は大きく三つに分けられています。増築を重ねた結果のようで、一部に畳を敷いた五坪くらいの部屋には手ロクロと電動ロクロが一台、壁にはトンボなどの道具が整理されてかけられています。「几帳面なんですね」と云うと「少しだけ」と言葉少なに返ってきました。壁の高い所には骨董市で見つけたという大津絵のような李朝民具のようなユーモラスな虎の絵が工房全体を眺めわたすように掛けられています。

畳敷きの部屋にはぐい呑みと交換したという大きなウッドベースが占領しています。毎日練習しないと指のたこがなくなり、すぐに弾けなくなると、どこか楽しそうに話します。次の部屋は作業場になっていて棚を設けられ、手板にのせた皿やカップが整然と差されています。壁端には蹴りロクロと電動ロクロが設置されており、作業の大半はこの部屋でなされるようです。電動と手回し、蹴りと三種類のロクロを使い分けるのは珍しく、小林さんは「集めるのが好きで……」と笑っています。 陶芸家 小林伸光

奥が窯場で、使い込まれたガス窯0.7立方メートルが据えられ、作業しやすいように設計されています。広さは3〜4坪といった感じで窓が大きく明るい窯場なので、作業がはかどりそうです。

工房での話が一段落すると、小林さんは「コーヒーを飲みましょう」と住まいの方へ向かいます。日当たりのよいテラスでいただいたコーヒーは、自作の織部釉のカップに彫金をほどこしたアンティークの小さなスプーンが添えられていました。味はプロ級、専門店に匹敵する程で、ジャズ喫茶で高校生の時のアルバイトで覚えたとのこと。 陶芸家 小林伸光

小林さんは1958年に神奈川県鎌倉市に生まれ、父親の仕事の関係で神戸と鎌倉を何度か行き来して幼少期から高校を卒業するまで鎌倉で育ちます。その後、東京でデパートなどのショーウインドウを飾るディスプレイの仕事に就きます。ここで物作りの基礎とおもしろさと身につけます。音楽に親しみ、酒を覚え、高校時代の居酒屋でのアルバイトでおぼえた料理や食器などの知識を加えたら、この時に小林さんの人生のすべてのもとができあがったように思います。

数年がたった頃、急に将来が見えてしまったような気分におそわれるとともに、有機溶剤による健康不安も重なり先輩に相談すると愛知県窯業職業訓練校をすすめられます。考えてもいなかった「やきもの」作りです。後になって思えば、居酒屋でのアルバイトで食器に触れ、なじんでいたことが「やきもの」と無縁ではなかったということかもしれません。

卒業後、美濃での修行を望みますが、27才を理由にことわられ、同期生と二人で笠間にくることになります。余談ですが、同期生はその後大工になり大成しているとのことです。

三年程、笠間の製陶所に勤めます。当時、民芸笠間焼といわれたキッチリした食器や花瓶を焼いている信楽出身の窯元です。この時から、作りたいやきものは何か、作る意味のようなものを捜しはじめます。窯元での仕事にすっかり馴染み、そのまま続ける人もいる反面、小林さんは異なります。なんとなく、もっと違ったものが作りたい。訓練校時代に見た美濃の古陶のような気もする、バイト先の居酒屋にあった食器かもしれない、はっきりしているのは民芸笠間焼ではないやきものを作りたい。笠間焼が嫌いなわけではない、ただ自分の仕事ではないような気がすると、小林さんは思っていました。

たまたま一人の先輩陶芸家に出会います。互いに酒好きのこともあり、急速に親しくなります。先輩の作るものが小林さんの目指すものに合致したことも重なります。やっと出会えた思いが酒に拍車をかけます。仕事の疑問がわけば訪ね人恋しくなれば訪ね、盃を重ね、議論を重ね、時にはヒリヒリするような関係にもなりました。後日、また盃を重ねては議論します。これらの日々がやきものを作る小林さんを作ったと思っています。二度と訪れることのない日々を小林さんは大切にし、折にふれては思い出すというより、共に生き続けている感覚でいます。

写真 | 小林伸光

製作について

小林さんは織部や灰釉に加え、朝鮮系の刷毛目や粉引などを中心に仕事をしています。時々、造形物も作ります。「面白いから」と。追求するというよりも、浮かんできたアイデアを形にしておこうと、デッサンやスケッチのようなものかもしれません。それがまた、気分転換になっていると思います。やきものに対する柔軟さといってもいいかもしれません。 陶芸家 小林伸光

「雅味」がある、これが小林さんのやきものです。笠間焼ではきわめて特殊です。よく見て、手に触れるとなんともいえないやわらかさがあります。優しいやきものです。工房を訪ねてはじめてロクロを使い分けていることを知り、納得がいきました。数物は電動ロクロで固めの土を高速回転でひくと、きっちりしたものになります。一品物の徳久利や抹茶碗は蹴ロクロでやわらかい土を用います。ロクロは惰性で回っているので次第にゆっくりになり、微妙な輪郭線や面が表現できます。ロクロを使い分けることで小林さんは自分の世界を作り続けています。

小林さんは細部に留意します。抹茶碗と飯碗の口作りの違い。高台の高さ、大きさ、形。器全体の形は頭の中に入っています。土をいとおしむように、ロクロの回転にゆだね、作っているというより遊んでいるようです。余裕があるから遊ぶのではなく、遊ぶから余裕が生まれます。美は細部に宿ります。

民芸陶器として出発した笠間には茶陶の世界がなく、全く評価の対象になりません。小林さんに限らず、茶陶をめざす人には不毛な努力が強いられます。また時代は細部に美を発見する人が少なくなっています。価値観も異なってきました。創造性や独自性が優先され、伝統的な技法は軽視されています。わかる人がいなくなっています。伝統的な美を理解するには努力と忍耐を必要とします。なによりも時間がかかります。現代人にとって、一番苦手かもしれません。教えてくれる人も少なくなりました。それでも小林さんは今の仕事を続けます。模倣は単なる真似ではなく、模倣は美の発見だから。

写真 | 小林伸光

作りたいからつくる、小林さんの存在証明のようなものかもしれません。他のことはあまり考えないようにしているように思えます。やきものを作って生きていけたらいい、幼児が一生懸命遊ぶように、遊びがすべてのように、美を発見することは実現すること、と小林さんは遊び続ける遊鬼の人です。 陶芸家 小林伸光

2019.2.15公開 | 小島 英一

器や
小林 伸光
住所:〒315-0121
茨城県石岡市真家1064-1
T 0299-46-6002