陶芸家
佐藤 さとう 一正かずまさ
茨城県 笠間市
佐藤 一正

'70年 笠間生まれ。‘03年から笠間・大津晃窯にて修行をし、’09年には茨城県工業技術センターにて釉薬を学ぶ。翌年独立し、築窯。笠間焼の伝統に現代的デザインを加えた、普段使いに適した食器を創りだしている。

笠間の窯人 #3

自制の人 佐藤さとう 一正かずまさ

写真 | 佐藤一正

陶板でつくられた表札にも作風がにじんでいる。

近年、普段使いの食器に関心をよせる焼き物作りが多くなっています。柳宗悦をはじめとする民芸派といわれた人たちのいう雑器に興味を持つ人たちです。雑器は粗雑な器と思われていますが、雑記が意味するように、種々雑多なもの、小説あり詩や俳句などの韻文、エッセイ、評論といったあらゆるものが雑記には詰め込まれています。同様に、雑器とは飲食に関わるすべての器を呼ぶといってよいでしょう。したがって雑器には下手物という意識は過去のものです。

普段使いの器に作り手として関心が高まるにはいくつかの理由があげられますが、一番は自由であることです。作るのも自由、使うのも自由、売り方まで自由です。

業務用食器や懐石食器にはそれぞれ決まりごとがあります。デパートの場合、一般食器売り場と特選食器売り場のようにランク付けがなされています。が、そのようにな世界を他人事のように無関心な人たちが普段使いの食器作りにはげんでいます。 陶芸家 佐藤一正

これまでは窯元が職人をかかえ、分業制で量産し、安価に提供している世界をひとりであるいは家族で営んでいる世界です。使い手の要望に作り手として、創意と技術でこたえることの気持ち良さのようなものが、器作りにかりたてているように思います。佐藤一正さんがその一人です。

佐藤さんの工房は古格を感じさせます。それもそのはず、手板を差す棚の位置やロクロ場のしつらえが古い窯元と同じたたずまいをしています。佐藤さんが独立を決め、まず考えたことは工房の設計です。窯元のロクロ場の高さをはじめ、すべてを実測することからはじまりました。経験上使い勝手は分かっていましたが、改良点を加えた上で発注しました。大工さんは佐藤さんの将来を祝い、はりきって仕事をしてくれたといいます。在来工法により、木材なども吟味された、一人には充分すぎる広い工房です。陽光が降り注ぐ明るい工房です。 陶芸家 佐藤一正

写真 | 佐藤一正

佐藤さんの作品、茶香炉が静かに迎えてくれました。

一仕事終わった後だからと、ゴミ一つなくきれいです。勤めていた時間と同じように一日の終わりは、ロクロ場の床の水拭き、土間の掃き掃除など身についている、そんなたたずまいです。

佐藤さんの焼き物との出会いは買うことからはじまります。イベントなどで作り手から直接求める方法をとりました。気に入った物をさがし、見つかると、黙ってしばらくじっとみていて「これください」と会話するでもなく求めました。今になって、作り手になった佐藤さんはいいます「作家さんは君悪かったでしょうね。何もいわずに、これ下さいって。若造が、安くもないのに」と笑っています。二十代の半ばでした。

求めたカップは会社で使っていました。雑用係のおばさんが「佐藤さんのカップ壊しちゃった。ごめんなさい」と、「えーッ、あれ三万円したんだけどなぁ……」そんなことが続くうちに、今度は作ってみたくなりました。陶芸教室に通いはじめます。

工業高校在学中に都市計画や公園設計に興味を持ち、卒業後それらを専門学校に学び、希望通りの会社に就職します。仕事は面白く、残業の連続にも苦になりませんでした。充実した仕事に加え、国家資格もいくつか取り、仕事に趣味に楽しい日々を過ごしていました。

焼き物作りは楽しい。窯元の人たちも楽しそうに仕事をしている。今の仕事も楽しいけれど、陶器作りも仕事にできたら、もっと楽しいだろうと思い、会社をやめて専念したいと窯元に相談すると、反対されて、その話は無しになりました。そんな繰り返しが六年続きました。長男だからいずれ笠間に帰らなければならないし、笠間での仕事といったら、笠間焼きしかないと佐藤さんは思い続けていました。 陶芸家 佐藤一正

退職でき、茨城県工業技術センター窯業指導所の研修生になることが決まります。四月入所までの間、製陶所で勉強することを勧められ、無給でいいからと窯元に押しかけ弟子になります。三ヶ月後、指導所にいくより、うちの方が実践的な勉強になるからといわれ、有給になり、一人前になるのに十年かかると覚悟したものの年齢を考えると、のんびりできないが、やるしかない。見るもの聞くものただ珍しく、夢中で働きました。怒られることもしばしばでしたが、結果六年間で独立することができました。

佐藤さんの工房は笠間土と信楽土がそれぞれ一トン程積まれています。一人の工房では珍しい光景です。ロクロをはじめたら「すぐに無くなるから」と軽い調子でいいます。「男は黙って一トン(ロクロをひく)」その通りで成型の九割以上がロクロ成型です。練達のロクロ成型の器は無駄がありません。健康的でいきいきと力強い形をしています。

写真 | 佐藤一正

動線外のスペースには土が高く積まれている。

笠間土を使うことを是としています。笠間生まれだから笠間の土を使うのは当然でしょと、また量産することを志しています。これまで分業で行われていた作業を一人ですべてをこなすことは非合理な面もありますが、美意識をはじめとする作り手の理想が十全に表現できます。

勤めていた時のロクロ師気分のままロクロをひき続け、あとでまとめて化粧掛をしようとしましたが、乾燥が進み、化粧土がはがれてしまい四千個の湯呑すべてを失敗したこともあります。この失敗により、一人の仕事の仕方が身につきます。

佐藤さんは勤めていた時に集めた器のデーター三百点を、独立して全て破棄します。窯元と同じものを作るなら、独立する意味がないと気づいて、ゼロからの出発を決めます。自分に釉薬の知識がないからと窯業指導所の釉薬科で半年間学びます。釉薬だけでなく、経営についてや急須など勤めていた時には作ったこともないロクロについても学ぶことができ、技術だけでなく考え方も広がってきました。

また前職で身につけたコンピューターを使って製図ソフトCADにより、デザインのみならず、器のデーター、形、サイズ、色彩などすべてを保存していて、使う際も、公園設計で習得した無理のない水の流れのカーブ、人間にとって心地よい曲線、理想的な比率、黄金比などをくししています。感性が理論に裏打ちされて使い勝手のよい器が生まれます。

水瓶や油徳久利やすり鉢などを作っていた笠間焼きは生活様式の激変により苦境に立たされます。廃業する窯元が多く、陶産地の危機です。窯業指導所を中心に、日常食器、いわゆる小物に転換します。民芸笠間焼の出発です。約六十年前のことです。これを縦軸とすると、佐藤さんの仕事はこの延長戦上にあります。特徴のないのが笠間焼、自由な作風で何でもありの笠間焼といわれていますが、佐藤さんは民芸笠間焼の具現化を実践しています。時代状況により抽象化、象徴された民芸笠間焼の継承を決意しているかのように。 陶芸家 佐藤一正

写真 | 佐藤一正

なにやら難しい話が始まった様子です。

製作について

ロクロ成型を基本に、伊良保釉やつや消釉などの伝統釉を窯や土に合うように修正して用い、刷毛目やイッチン描きなどの伝統技法に加え、CADで作成した絵付用の型紙、ステンシルをプリントアウトして用いるなど新しい技法を開発し、笠間焼の可能性に挑戦し続けています。

窯は0.5立方米の灯油窯を使っています。還元焼成が多く、どうしてもバーナーにカーボンがたまりやすく、炎が不安定になり、同じ焼き上がりを求められる量産には試練の連続です。工業製品の窯なのに、それぞれ個性があり、同業者の助言がそのまま適応できることは多くありません。常に地場産業としての笠間焼に自身の作陶を位置付けている佐藤さんにとって、窯変といった一回性は無縁で、常に同じ焼き上がりを、数多くと思う気持ちが達成感につながっていきます。 陶芸家 佐藤一正

写真 | 佐藤一正

窯のそばでは笠間稲荷のお札が仕事を見守っている。

佐藤さんが量産に執着するのは、量産メーカーの窯元育があるのかもしれませんが、陶芸教室に通っている頃、手びねりで大きな物を作ることが多く、いつかロクロができるようになりたいと、自宅の近くの空家を借り、土間の中央に炉を切り、まだ扱えないロクロをすえるなど、サロンのような空間を作り、仲間と楽しんでいたサラリーマン時代からのあこがれがロクロだったからでした。

ロクロの魅力は量産することにあります。作るものにより粘土のかたさ、ロクロの回転速度、手の動きが一体化し、そして水引きと仕上げの削りのバランスを決意されたときに、力強い形が生まれます。その時間が持続することでさらに魅力が増します。一個の壺を作ることが短距離走ならば、量産は長距離走のようなものかもしれません。一定の気持ちと一定の手の動きが継続していくことに喜びがあります。それでなかったらロクロはただの成型道具でしかありません。

佐藤さんは陶器市などのイベントに積極的に参加しています。使い手の声が聞ける機会を大切にしたいからです。販売ブースに納豆鉢を並べた時のことです。それは高台が小さく引き締まり、立ち上げがスッキリしていて好ましい形をしていました。お客さんは手にとり、色々試していましたが、買うまでには至りません。お客さんは高台が小さく、不安定で使いにくいと感じられたと思い、次に作るときには高台を大きくし、より安定するように、形はやや野暮たくなったものの、使い勝手を優先させるようにしました。

考えてみると、他の人と逆のことをしてきたように思うと佐藤さんはいいます。周りが作家をめざし、一品の製作に力をいれれば、技術に磨きをかけ量産を志し、自由な造型、作り手の美意識を具体化させる仕事に対しては、使い勝手のよい仕事を、というように。

かって笠間焼は、重くて、壊れやすく、地味で暗く使いにくい、使いたくないと一部でいわれていました。佐藤さんは笠間焼に現代性を反映させ、軽くて、明るい、丈夫で使いやすい食器を作り続ける決意をしています。ひとりよがりにならず、自分が良いと思うのではなく、使い手のお客さんが喜ぶ器を作ろうと。

自分の置かれている位置を広く俯瞰し、やりたいことではなく、やるべきことを、気負うことなく続けています。その理性的な姿勢は自制の人、そのままです。 陶芸家 佐藤一正

2018.7.15公開 / 2018.7.18更新 | 小島 英一

脚注

柳宗悦
1889年 - 1961年。東京都港区出身の思想家。参考:日本民藝館 - http://www.mingeikan.or.jp/about/yanagi-soetsu.html
古格
【こ-かく】古い格式。昔のしきたり。古例。出典:岩波書店「広辞苑」第四版
イッチン
スポイトなどを用い、泥漿で器物に文様を盛り上げ描く技法。イッチン盛、イッチン掛ともいう。小鹿田、布志名、丹波立杭焼などによく見られる。出典:陶芸用語大辞典 - http://www.tougeizanmai.com/yougodaijitenn/i.htm
佐陶工房
佐藤 一正
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