陶芸家
山下 やました ひろし
茨城県 真壁
山下 広

‘61年茨城県生まれ。愛知県立窯業技術専門学校、笠間窯業指導所に学ぶ。
‘95年には朝日現代クラフト展をはじめ、国際陶磁器ファスティバル美濃展、長三賞陶芸展、日清陶芸めん鉢展などに入選。その後も陶芸財団展、亜細亜現代美術展、ビアマグランカイ2に入選と意欲的に活動している。

笠間の窯人 #6

克己こっきの人 山下やました ひろし

写真 | 山下広

'18年の『笠間浪漫』で店先に飾られたきつね面。

「やきものに興味はなかった」山下さんは開口一番云いました。高校時代から山が好きで、山登りをしたくて、山に近い美濃の会社に就職しました。そこがたまたま製陶会社だったことが「やきもの」との出会いでした。30日、休まず働き7日休み、山登りをするといった期間が続きますが、入社後会社での責任は重くなり、忙しくて山登りどころではなくなりました。年商250億の大量生産での工員生活の将来をふと考えるようになった時に、先輩から愛知県立窯業技術専門学校を勧められます。陶芸家 山下広この頃に訪れた奥穂高岳でのスナップ(写真提供:山下広)

失業保険の受給ができ、一年間勉強ができることは、当時の山下さんにとって魅力的でした。無事、図案科に入学し、基礎から陶磁器デザインの勉強をし、卒業後知人の紹介で、モニュメントを手がける工房に助手として入ります。最先端で活躍する陶芸家たちとのふれあいは刺激的で、活気にあふれていました。工員時代とは違った、もの作りの現場は、おもしろく、楽しいものでした。

一年間が過ぎようとしていた頃、笠間で修行していた人と出会い、笠間を意識します。故郷にも近いことも理由の一つでした。来てみると、楽に呼吸ができる自由さがありました。瀬戸にはないものでした。

分業ではない、一貫生産ができるように、もう一度技術面から勉強しなおすために茨城県窯業指導所に研修生として入所し、釉薬について半年間学びます。その後、ロクロ成型の技術を一年間学びます。

この頃です。全く興味のなかった「やきもの」を作って暮したい、物作りをしたいと思うようになったのは。「笠間はいいよね、食器を作って暮らせるんだもの」と山下さんはいいます。「それも、自由に」と。

実は、工房での取材をお願いしたのですが、ことわられ続けたにもかかわらず、あきらめきれず、イベント会場で接客の合間をぬっての取材に、「今回だけですよ、自分のことを話すなんて」と念をおされての取材でした。

お客さんの波がいっときとだえたところで、陶歴について伺いました。山下さんの陶歴書には「笠間焼・山下広」とあります。自らの仕事を「笠間焼」という地場産業として位置付けていることに他なりません。なみなみならぬ決意が伝わってきます。やきものにはいろいろな顔があります。芸術や工芸あるいはホビー・クラフトという趣味性の強いものなどさまざまです。そこで山下さんが選びとったのは地場産業としてのやきものです。

写真 | 山下広

渦巻き模様がへのくに屋さんの目印です。

しかし、山下さんは最初から地場産業のにない手を目ざしたわけではありません。1995年に茨城県窯業指導所のロクロ成形科を修了し、倒焔式の灯油窯を築き、自営します。この年、「朝日現代クラフト展」「国際陶磁器フェスティバル美農展」「長三賞陶芸展」「日清めん鉢展」とたてつづけに入選をはたします。その後も’98年まで公募展への出品を続けます。当時の心境について、ひとつは自分の仕事の技術力を上げる為と、入選の肩書きが無いよりは有ったほうがいいだろうといった軽いものだったといいます。

以前、山下さんが陶芸教室でデモンストレーションで作ったというひも作りの高さ50センチ程の壺を見たことがあります。しっかりした技術で作られていました。ロクロも一通りできます。にもかかわらず、石膏型を用いた手起こしで成形した食器を作っています。その完成度は随一といっていい程です。

写真 | 山下広

初期の作品(写真提供:山下広)

「僕はマイナスの仕事だから」と山下さんはいいます。形を作り、模様を書いたり、掘り込んだり、色を付けたりといった加飾が当り前のこの仕事で、山下さんは、これ以上削り様がないといった単純な仕事を続けています。ある同業者はいいます。「あそこまで割り切ってする精神力はすごい」と。作りたいもの、あこがれているものを作るのではなく、自分が作らなければならないものを作る、それは他の人が作らないものをつくろうという精神の問題です。自己を客体化することから生まれる精神です。多くの窯人は志野や織部という桃山陶、信楽・備前・越前などの焼締あるいは高麗や李朝、中国の青磁などにあこがれ、目標にしてこの世界に入ってくるか、ロクロを回し、窯を焚くうちに目標とするやきものに出会い、出発点とすることがほとんどです。

山下さんは違います。美濃の大きな製陶所に務め、その後現代陶芸の作家たちに接するなかで、自分の居場所をみつけるために、多くの試練を乗り越えてきたはずです。そしてたどりついた所が、技術や美意識をひたかくしにして、誰にもできそうで、できない現在だったのではないでしょうか。 陶芸家 山下広

製作について

写真 | 山下広

どれもかわいらしいフォルムやモチーフばかり

山下さんの仕事のほとんどが石膏型を用いた手起しといわれる方法で作られています。小さいものは豆皿や盃、飯碗から中皿、大きな皿や鉢などありますが、すべては手仕事のあとを消しています。機械生産による量産物をしのぐ出来映えです。シンプルすぎるくらいシンプルで無表情ですが、よく見るとやわらかく他のどんな器とも調和する優しさがあります。料理好きの女性たちは無意識のうちに、それらを感じとっているのかもしれません。 陶芸家 山下広

釉薬についても同様です。知識や技術がありながら、きわめてシンプルです。長石を主体に土灰とカオリン、蛙目粘土の三成分で作っています。それぞれの比率の違いで、マット釉と透明釉があるだけです。これ以上単純な調合の釉薬はありません。なにごともシンプルにシンプルにという、これ以上引いたら成り立たない引き算の仕事が山下さんの仕事、やきものです。

釉薬を二種類しか使わない山下さんは、土と焼成で同様に最少のものしか使いません。土は二種類で鉄分を含んだ赤土と白土です。赤土は炭化焼成し、やや青味がかった焼き上がりのマット状に仕上がります。白土は掛け分けによる片身変わりで器の片方が光沢のある透明釉で酸化焼成によって、もう半分を光沢のないつや消しに焼き上げます。炭化焼成は落ち着いた雰囲気に、酸化焼成では瑞々しい生命力にあふれた焼き上がりになります。かつてクラフトの世界で「シンプル・イズ・ベスト」がもてはやされた時があります。アール・デコやアール・ヌーヴォーの装飾過多の反動から生まれた時のことです。山下さんの姿勢は、シンプル・イズ・ベストそのものです。簡単そうに見えますが、素材や技術に熟知していなければできないことです。

いま時代は装飾過多、プラスの中にいます。とりわけやきものは表面装飾に多くの時間をかたむけています。新しい顔料が開発され、流通も発達したおかげで地域差がなくなり、グローバルな時代になりました。そして、人は流行に敏感になり、また新たな流行を生みだそうとしています。

山下さんの仕事振りは時代にさお差しているように見えますが、結果として、そうなっているだけです。物作りですから作りたいものは沢山あるはずです。模様に無関心ではいられません。色についても、色を使えば器の種類も大幅にひろがることは、わかっています。デザインについて基礎から本格的に学んだ山下さんはわかっています。器について考えることは、生活について、社会について考えることであり豊かにするものだということが。 陶芸家 山下広

オブジェ(造形)に心ひかれたこともありました。しかし、山下さんは、最小の釉薬原料、型起しだけの成型で生きています。ここに至るまで様々な葛藤があったはずであるにもかかわらず。二十数年かかって、いまの禁欲的ともいえる厳格な器にたどり着いたといえるでしょう。知識や技術をひたかくしにする、言い変えれば技術をわざと捨てた山下さんは克己の人なのです。

2019.1.15公開 | 小島 英一

へのくに屋
山下 広
住所:〒308-0129
茨城県筑西市上野985
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